はだしコピー

私は人口約4000人の上川町に移住して鍼灸院を開業しました。知り合いは1人もいない町にどうして来たのかと、当時から今に至るまでよく聴かれます。私が上川町で開業するきっかけになったのが、常に頭の中にあった「はだしの医者」の存在でした。

はだしの医者というのは、中国で生まれた半農半医の医師のことです。基本的な医療衛生の知識や臨床技術を学び、労働者や農民、一般市民に対して衛生知識の普及、農村や工場の衛生状況の改善、かかりやすい病気の予防や治療を行うことを主な任務としていました。

はだしの医者が最初に派遣されたのは華東地区の水稲生産地帯。彼らは生産から離れない医療衛生要因としていつも救急箱を肩にかけ、素足で田畑を駆けずり回っていたそうです。そこから地域の人々の歓迎を受け、はだしの医者という愛称が生まれました。その後この名前が全国的に広まったようです。

地方の医師不足が深刻化する現在、具体的な改善策はまだありません。人口の多い地域に医師や医療機関が集中するのは当然のこと。いなければ困ります。そこで私の頭の中に学生時代から渦巻いていたことが、「医師が行かないのならば、鍼灸師が行ったら少しは役に立てないだろうか」ということでした。

卒業後に勤めた横浜市や旭川市には、病院だけでなく整骨院やマッサージ、鍼灸やカイロプラクティックなどあらゆる施術所が溢れかえっています。患者さんは様々な病院などを回り、気に入らなければ他の所へ梯子できます。人が多い所で仕事をするのは当たり前ですが、自分の様な変わり者が1人でも医療過疎の地域に行き、困っている人の役に立つために努力することがこれからの時代大切ではないだろうか。そんな思いが募り、自分の一生をかける仕事は「はだしの医者」のように、地域の人のために衛生知識の普及や環境の改善、病気の予防や治療を行うことだと考えて、病院や鍼灸院の少ない場所を探し、上川町に移り住んだわけです。

10年目になった今年、役に立つ人間になるためにまだまだ努力が足りないことを痛感しています。初心に帰り、これからも「はだしの鍼灸師」を志して努力を続けたいと思います。また同じ志を持つ仲間を増やし、他の地域にも貢献できるような形を作ることは出来ないかと模索しています。